たりぃさんの山旅

山旅を愛するたりぃさんが超軽量の道具とITガジェットを使って奥深い山域を旅します。

飯豊山神社への修験道で御山駆けに挑む訳

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山形県新潟県、そして福島県の県境をなす飯豊連峰。その山塊はとても奥深く、アプローチも長く、営業小屋がほとんどないため、長い休みの少ない日本人にとってとてつもなく遠い山である。山形県に住んでいる時も、新潟県に住んでいる時も行きたいと思っていたけど、麓から写真を撮った事しか無かった。それが冒頭の写真。それ以来、ずっと憧れの山であった。

そして今、半分会津人として働いて暮らしている今だからこそ、日々行きたくなってきていました。飯豊連峰。

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毎朝ランニングに行くと、ご覧のように雄大な飯豊連峰が見えます。若松からわずか1時間ほどで行ける喜多方市山都町。行かない理由がない!Why not!

※東山温泉からの下り坂を疾走中に見える飯豊連峰

さて、以下長文です。覚悟してください(笑)

会津と言えば、白虎隊を育てたと言われる、10才から進学した會津藩校 日新館が有名で、その日新館に進む前の集まりである什の掟(じゅうのおきて)が特に有名です。特に、什の掟に必ずあるフレーズ「ならぬことはならぬものです。」は八重の桜でも有名になった言葉ですが、これは、自分たちで掟を制定し、掟を破った場合の制裁(私刑)をも規定していたもので、現在でも各小学校には独自の什の掟が校門横に提示されていて、しっかりと受け継がれています。なので、会津では道を歩いていると、見知らぬ子どもから「おはようございます!」と元気に挨拶されます。ボケっとスマホを見ていて無視してはいけません。大人は元気よく返事する必要があるのです。東京でしか育った事がない人にぜひ体験してもらいたい。本州でこのような挨拶をされたのは会津が初めてかもしれない。

私刑と聞くと、私たちはリンチを思い出し、残虐な意味のないいじめを思い出すのが通常ではあるが、きちんと自分たちを律するためにそれらを規定して執行していたその姿は、躾・振る舞い・修行・Disciplineこそが大事だと思う私の価値観に合致し、その実践の良き例であることを実感できる土地なのです。

江戸時代。経済学を学んだ時からこの時代が大好きだが、会津に来たらそれが実感できてさらに好きになった。それは近代日本の文化の源であり、日本人が高度で独創的な事を考えていたピークの時代だったのだ。その後、入ってきた西洋文化のおかげで日本の古き良き文化の多くは失われてしまった。それなのに私たちは明治維新のおかげで近代的な文明をもらたし生活が豊かになったと教えられて小さいころは育った。本当にそうなのか?経済学の教授に「経済学は経済学者に騙されないために学ぶんだ。」と最初に言われた。ほんとかこの教授。大丈夫か?そう思ったけど、学ぶにつれてそれは本当であることが分かった。だってそうだよね、アダムスミスの見えざる手で市場が正常に常に上手くいく、とか、ケインズ公共投資をすればするほど乗数効果のおかげで国が発展していく、とか、どう考えても成り立たない極端なことをさも普通であるかのように広く薄く流布する事で、儲かる金融と美味い公共投資をつぎ込んで金儲けをすることを正当化するためにやっているんだから。

飯豊山の「御山駆け(おやまがけ)」(通過儀礼 - Wikipediaより引用)

”江戸時代、会津や米沢の子は14 - 15歳になると飯豊山を登山し、「御秘所(おひそ)」と呼ばれる難所を越えられたら一人前の男として認められた[2](飯豊山神社も参照)。”

御山駆けは、私の生まれた土地である山形県村山地方(現在の山形市周辺)にも出羽三山詣でというほぼ同じ仕組みがあり、うちの親父も登頂したと母から聞きました。身体が不自由だったオヤジだったけど、亡くなってから聞いたそんな話に出てくる若かった頃のオヤジがちょっと羨ましく思った。子供のうちに、泣きべそかいても自分の足と頭でやり遂げるしかない経験って重要だと思うんです。お金を払ってもできない経験です。肝が据わるというやつです。学校や学習塾に行ってそれが身につくのか?いや、難しいと思うんです。でも御山駆けは先導がいないと死ぬかも知れないのも現実。だからこそ僕は息子を連れて飯豊山に行きたいのです。親が与えてあげない限り、行く機会はほとんどないのが日本の現状です。特に東京の子供らは本当に機会が少ない。

息子が今年15才。子供と言ってもまだ許される最後の年だから、ぜひこの修験道にチャレンジさせたいのです。

なお、私も中学生の時に、母親に連れられて鳥海山を0号目から登り上げた経験があります。「登山は0号目からが楽しい」が母の口癖でした。でもそれがよりによって山形県最高峰の鳥海山(2,236m)とはね。当時なにも山のスペックを知らなかった私は、母との楽しい登山のはずだったのに、5合目までの樹林帯は湿度最高で眺望のない無味乾燥な道のりで、辛かった記憶したありません。何時間森の中を彷徨ったのだろうか。たぶん1日がかり。でもエスケープ路などあるわけのない道をひたすら登った後に広がる、川と雪渓と岩場と青空の絶景の素晴らしいコントラストは今でもはっきり覚えています。そして母が大好きだった、マルちゃんの赤飯をプリムスのバーナーで温めてくれて添付のごま塩を振りかけて食べたその味は、今でもカップラーメンに匹敵する旨さだと思います。そして、人生は山あり谷ありである事を学んだ。我慢すれば必ず道は開けることも知った。僕はそれ以来、自分の身体に刃物を向ける事をしなくなった。どんなにいじめられようとも、生きてさえいれば必ず道は開けると言ってくれた誰かの言葉を信じるようになった。だって実感したんだからね。僕は自分の手と足で何でもできる。だって僕はあの怖い山を自分の足で制覇する事ができたんだ。

不思議な事に、もうあの日から怖いものはほとんどなくなったんだ。人も物も社会も意識の壁も何も怖いものなど存在しないのさ。少なくともあの怖い山に比べたら屁でもないのさ。そうだろう。僕は実感したんだ。もう大丈夫なんだ。進むべき道が見つかったんだ。 

ここまで読んでくれたあなたは、僕がなぜ息子を飯豊山登山に連れて行きたいのか、だいぶ理解してもらえたと思いますが、もう少し続けます。

今の世の中で言えば、僕は自閉症スペクトラムとか、注意欠陥・多動性障害(ADHD)の疑いあり、と間違いなく言われるんだろうな、という子供だったから、こだわりが強くて、一般の人々によくいじめられていたんだ。同性のみならず、異性も、先生も、彼らにとっては異質すぎたんだろう。僕自身もそう感じていたよ。そしてマジョリティは僕ではなかった。今と違って前から2番目ぐらいのチビで、ガリガリに細くて、女性よりも色白で、フケが多く肩に乗っていて、赤毛と白髪とニキビとホクロが多く、算数以外興味のない運動音痴でゲームオタクの奴だったから、分かりやすいいじめのターゲットだったんだよね。お前は俺たちとは違う、そう思ったんだろう。僕がそこから逃れるのは容易ではなかった。でもね、ファミコンでは誰にも負けたことがないし、ゲームセンターでは大人のゲーマーと張り合えたし、ゲーム買うお金がないから自分でプログラミングしたし、モニタはごみ収集所からかっぱらってきた。そして算数だけは100点取るのが当たり前だと真剣に思ってたんだよね。今思えばとてつもなくウザい奴だったんだよ(笑

だから僕は強いものに寄り添ったんだ。生き延びるためにね。村一番の番長と参謀とよくつるんで悪い事をたくさんした。ゲームセンターによく行き、タバコ、酒、万引き、バイク、他、言えない事を無数にやった。僕にとって死ぬよりははるかにマシだったんだと思う。

そして僕は算数とか出来たから彼らにテストで良い点取れるように特訓するのが役割だった。1日10分ぐらい。後は彼らの家にある親に買ってもらった無数のゲームをやりまくりつつ、たまに聞かれたらゲームをPauseして教える。ただそれだけで彼らの学力が上がり、みんな志望校に入ったよ。まあ、高校なんてどこでも良いと思うけど、本当に好きな志望校に入る事は重要だ。行きたいところに行って輝くのが最も大事なことだ。僕にとっては致し方なく始めた友達だったのに、そのうち何人かは今でも繋がっているぐらいの親友になった。

人生なんてどうなるのかわからないんだ。楽しくするのも絶望するのも自分次第。でも、その時手に入る環境がどんなのかも重要。親のどちらかが山に登らない子供は山に行く機会がほとんどないと思うが、不幸な事だと思う。お金という資産がないことよりも不幸だと思う。そんな子供が息子のクラスメイトには沢山いる。山に行けば、君たちきっと変わるのにね。でも親が登山しない人だと行けないんだよね。高尾山でも良いから連れて行った方が良いよね。おいしい空気を吸って、ちょっと転んで怪我でもすると意識が変わるんだよ。怪我なんて唾でもつけておけば治るしね。そうやってリスクに対峙してリスクを認識し、リスクへの対処の仕方を筋肉と脳みそにしみこませるんだ。自分で対処できたとき、それは大きな自信となる。本当に脳みそが活発に動き出す瞬間なのだ。だからやる気スイッチを入れるなら登山に行くのが一番良い。それは特別な事でも何でもないはずなのだ。

でもね、近い将来、やっと普通であることを求められない世の中がやってくる。普通とは何かはさておき、いろんな想像をすることが求められる楽しい世の中になる。僕の人生は他人と同じ普通になる事を拒否する旅だった。ようやくその理想の世の中が東京にもやってくるんだ。面白いことを考えて実行する人が楽しく生きていける世の中。既得権益をもつ勢力から解放され、自由に生きる事ができる世の中。今の世の中で発達障害としていじめられていた人々はそのメインストリームに躍り出て、今まで全うだと言われていた“普通の”人びとが、「想像力欠如症」「没個性病」などという病名で精神病院に通院することになるかもしれない。だって普通のことはAIがやってくれるから、やる必要がないんだ。みんなと同じ選択をする必要が無くなるんだ。普通です!と威張れるのも今だけ。変態です!という人がもてはやされる日が来る。生きている間にそのような時代になるとは思ってもいなかった。

でも、ずいぶん前からトム・ピーターズが言ってましたけどね。イクスクラメーション(!)が大事だって。でも、日本語でタレントっていうとショボい印象が強すぎですね(笑)偉才とか異才に翻訳すればピッタリなんだけどね。すげー才能、とかもピッタリ。日本のテレビばかり見て物事を鵜呑みにしている人たちはタレントはヤバいとしか考えられない脳みそになっているけど、たまには本も読んだ方が良いよね。できれば海外の本をね。息子はハリーポッターにはまってます。しめしめ。

トム・ピーターズのマニフェスト (3) タレント魂。 (トム・ピーターズのマニフェスト 3)

トム・ピーターズのマニフェスト (3) タレント魂。 (トム・ピーターズのマニフェスト 3)

 

そもそも個性を没して社会的になる近代教育制度で大学まで出て優秀だと言われている人は社会性があるともてはやされているけど、そこからはみ出る人、すなわち近代教育制度という名の壮大なウソを信じないで独自の道を歩む人はみんなどこかに反社会性を持っている。そんな人は今の世の中、他の要因によってはサイコパスとも呼ばれている。僕も診断されたらサイコパスかもしれんね(笑

でもね、シンギュラリティがやってきたらサイコパスっぽい人しか生き残れないと思うんだ。シンギュラリティを超えたAIがネチネチと意見を言ってきたらどうやって戦う?俺たち人間を超えた世界最強の存在なんだぜ?と思ってしまったウザいAIなんだよ?サイコパス以外に勝てるキャラが見当たらない。普通のキャラは全部先読みされて笑いながら対策されるよね。

少なくともテストで100点なんて、AIの方が確実にできるに決まってる。コンピュータ・サイエンスが出来た時から、それはわかっていた事。SFやアニメの世界ではとっくに超えているしね。100点取るよりも、一人でもデザインシンキングができる脳みそが必要。他人の言っている事をうのみにする事ではなく、まずクリティカルシンキングしてみて、あーだうーだ自由な意見を出しまくって、他にも意見があるぞ、うまくいくわけがない、先生が言っていたから考慮しなさいとか言われても、「そんなのかんけーねー!」って言いながら、瞬時に走りながらやってみて、ああ、やっぱりうまくいくじゃん、楽しいじゃん、と素早く新しいやり方を見つける能力だけが、AIを超え続ける事が出来ると思う。

今、上述した難解な名前の病気かも、と言われている人は、そんなのかんけーねー!って思い自分の道を突っ走って欲しい。そう思えるだけの知識を得るために本を読み漁って欲しい。図書館に行けば、自由な勉強会に行けば、いくらでも知識を得られる。歴史は繰り返すのだ。 

という事で、長く書きましたが、息子には飯豊連峰で楽しく修験をしてもらいます!そして僕も楽しみなんです!江戸時代に想いを馳せながら全力で飯豊連峰を駆け上がる妄想をして、もうお腹いっぱいになりそうです!俺が一番出ぜ!とか言いながら。そして登れなかった奴らに向かって「クソがっ!」って言うんだ(笑

 

クソがっ!

と息子に言われないように頑張りますw